INTERVIEW

《前編》シンプルだから、ごまかしはきかない「kaeneが大切にしてきたもの」日永 和孝さん〈株式会社侶丹 代表取締役〉

 「ドレスって、意外と失敗するんですよ。サイズが合わなかったり、思っていた色と違ったり、結婚式当日に浮いてしまったり。でも、その失敗って商品を売った側はあまり責任を取らないんです。
私は昔からそこに違和感がありました。
だからkaeneでは、試着サービスを始めたり、無料で相談を受けたり、ブラックフォーマルもルールを壊し過ぎないように作っています。結局は、お客様に後悔してほしくないからです」
そう話すのは、オケージョンブランド『kaene(カエン)』のディレクターであり、株式会社侶丹 代表取締役の日永和孝さん。

今回はそんな日永さんに、kaeneを立ち上げた経緯から、ブランドを支えるものづくりまで、じっくりお話を伺いました。

今回紹介したブランド

人生の節目に寄り添うブランド、kaene 

━━kaeneのコンセプトは「Little Chic, Little Feminine」。
流行に頼らず、ほどよくシックでさりげなくフェミニンなドレスは、人生の節目に寄り添い、主役である「着る人」を静かに引き立てます。
意外かもしれませんが、僕もkaeneのスタッフも、あまり積極的に前に出たいタイプじゃないんです。
kaeneは特定のディレクターを前に立てたり、インフルエンサーに依存するような売り方はしていません。
それよりも、商品そのものや、ものづくりの姿勢を気に入ってくださった方に、長く選んでいただけるブランドでありたいと思っています。
━━インフルエンサーマーケティングが主流の現代において、kaeneの姿勢は一見すると控えめに感じるかもしれません。しかし、そうした考え方に共感してくださるお客様に支えられながら、ブランドは少しずつ成長してきました。
最近は、お母様とお嬢様がご一緒に来店されて、一緒にドレスを選んでいただくことがすごく多いんです。
お嬢様のドレスを探すだけでなく、逆にお母様のドレスを娘さんと一緒に『ああだこうだ』と言いながら選んでくださることもありますね

泥臭いリサーチと、先人たちが築いた原点

「株式会社侶丹(ロダン)は、1975年に祖父が創業し、自分の身一つで立ち上げて大きくした会社です。その後1991年に父が継ぎ、福岡でシニア向けの服を製造・販売していました」
その歴史を受け継ぎ、若いブランドの立ち上げを任された日永さんですが、もともとアパレルでの経験はなく、留学先のアメリカで出会った飲食の道に進もうと考えていたそうです。
大学卒業後、アメリカに1年、その後バックパッカーとして世界へ。様々な国の人たちとの出会いと別れ、たくさんの刺激を吸収した旅でした。
メキシコやプエルトリコ、台湾の友達、そこで出会った日本の友達とは今も交流が続いています。

━━そんな知識ゼロの中、日永さんがまず始めたのは、徹底した泥臭い市場調査でした。
2000年代初頭、当時はインターネットも普及していなかったので、会社の倉庫にあった過去30年分の『GAP』という海外のコレクション雑誌を引っ張り出してきて、最初から全部読み進めました。その中で、気になるディテールに付箋を貼ってデザインのアイデアを探しました。
また福岡の中心地・天神でアパレルショップに赴いて、片っ端からどんな商品が欲しいか聞いてまわったんです。
100件以上まわったと思います。
そこで店員さんに言われたのが、kaeneの原点になった『日常使いができるオケージョンドレス』でした。

日常を少しだけ非日常に変える。「kaene(カエン)」の名前の由来

2000年代後半、結婚式用のドレスといえば、ウエストを絞った『フィット&フレア』で、フリルがついていて、色も赤や青など原色が主流の時代でした。
そんな中、キャミソールとレースを組み合わせ、普段使いもできる大人っぽいデザインを提案しました。
たとえばこの一着は、ブランド初期に爆発的なヒットを記録したデザインのDNAを受け継ぎつつ、今の感性でアップデートした、まさに僕たちの原点であり、今のkaeneを象徴するドレスです。
━━当時、オケージョンドレスの知識もなかった日永さんが足を運んだのは結婚式場でした。
土日になると天神の結婚式場へ行き、招待客に紛れてどんなドレスが着られているのかをひたすら観察しました。一度、誤って披露宴会場が一つしかない式場に入ってしまい、不審者扱いされたこともあります(笑)
式場に集まる人たちを観察していると、色とりどりのドレスアップをして、ワクワクした気持ちで集まる光景が、『なんだか花園みたいだな』と思えたんです。
そこから『カエン(花園)』という言葉が浮かびました。
実は僕にとって『カエン』というと、福岡にあった遊園地『香椎花園(かしいかえん)』のことなんです。ちっちゃい頃にたまに連れて行ってもらえる特別な場所。
『カシイカエンに行く』となると、一番テンションが上がったのを覚えています。
幼い頃に感じたあのワクワク感と、結婚式場に広がる美しい花園の景色。
その2つが重なり合って、日常の中で少しだけ特別な日を彩る服になってほしい、という思いを込めてkaene(カエン)という名前をブランドにつけました。
香椎花園は2021年に閉園しましたが、最後に息子たちと一緒に行くことができました。

理想の「花園」を現実にする、妥協なきものづくり

━━ブランドに込めた「ワクワク感」や「日常使いができるオケージョンドレス」という理想。それをただの絵空事で終わらせず、大人の女性が自信を持って着られる"本物のドレス"にするためには、確かな技術が不可欠でした。
僕がkaeneを立ち上げた当時はパタンナー、デザイナー、そしてパートのご年配の方たちと一緒に服作りをしていました。
全身黒ずくめで思ったことが全部口に出るようなベテランデザイナー。ドレスの話をしてともに夜を明かしたパタンナー。そして祖父の代から一緒に働いてくれている熊本の裁縫工場『Factory mode Anna』の職人たち。
kaeneのドレスは、彼女たちのような技術者や職人さんたちの情熱を借りないと絶対にできませんでした。
━━あの頃から変わらず、kaeneはその姿勢を貫いています。
今でも、kaeneには専属のデザイナー、パタンナー、MDがいます。
ドレスは、専属デザイナーが1からデザインを行い、パタンナーがイメージを形にし、熊本の自社工場をはじめとする信頼できるパートナー工場で製作されます。
一つのドレスが完成するまでには、企画からデザイン、生地選定、幾度ものサンプル修正を経て、およそ3ヶ月の時間をかけます。
━━実際、アパレル業界では、コスト削減などで自社でデザイナーやパタンナーを持たない企業もあり、縫製は海外に任せるのが一般的になっています。そんな中、kaeneは自社でクリエイターを抱え、独自の道を歩みます。
kaeneのドレスは、流行にとらわれない、無駄のない洗練されたデザイン。シンプルだからこそ、誤魔化しのきかない縫製技術がダイレクトに表れます。
それを実現できているのは、専属の自社クリエイターと、熊本の自社工場をはじめとする信頼できるパートナー工場の職人たちがいるからこそ。
一般的なアパレルの会社は海外の工場に製作を依頼することが多いですが、僕たちの強みは国内に自社工場があること。
デザイナーやパタンナーが直接、工場の職人と話をします。
細かなニュアンスや、そこに込める思いまで共有しながら服づくりができることは、僕たちの大きな強みだと思っています。
仕様書以上の思いを共有できるからこそ、どんな繊細なデザインも妥協なく形にすることができるんです。
いくら可愛くてもチープだったり、仕立てが荒かったりするものは着たくない。そんな思いを持つ人に手にとってもらえるブランドであり続けたいと僕たちは考えています。
━━その思いは、次の世代へも着実に受け継がれています。
社内では若手のパタンナーに対して外部の先生を招き、マンツーマンで授業を受けさせるなど、育成への投資を惜しみません。
長年培われてきた技術と、洋服づくりへの情熱。その魂は、人から人へと確かに受け継がれています。
そして2021年、日永さんは株式会社侶丹の代表取締役に就任します。
後編では、そのバトンを実際に形にし続ける熊本の自社工場「Factory mode Anna」の現在の姿と、日永さんが見据える「10年後の未来」について伺いました。

PROFILE

日永 和孝(ひなが かずたか)

株式会社 侶丹 代表取締役

日永 和孝(ひなが かずたか)

1980年3月8日生まれ。 株式会社 侶丹 代表取締役/ 有限会社factory mode Anna代表 趣味はサーフィン、ピラティス、筋トレ、読書。息子ふたりのパパ。アーティスト「HANA」のファンクラブ「HONEYs」会員。


取材・編集:永延 真優(プラドレ) / 写真:SOTA(Underdog Graphics)

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